
『そば』と『絵本』の中に込められた想いを伺って参りました。
▼我部祖河食堂を創られたいきさつをお聞かせ下さい
当店は創業から数えて43年目に入りました。私の父が創業し、沖縄県名護市の我部祖河という場所で当初は鮮魚精肉店・雑貨商・そば屋を営んでおりました。
当時、精肉店をしながら抱えていた悩みに、「残ってしまったお肉がもったいないので、それを何とかできないだろうか。」ということがありました。そして考えに考えた末、沖縄そばの上にソーキ(豚のあばら肉)を乗せてお客様に出したところ、「こってりしていて美味しい!」というお声を沢山いただくことができました。
その頃の当店のお客様は、炎天下の中で毎日汗を流して頑張っている肉体労働者の方々がほとんどだったのです。当時の沖縄そばは、さっぱりとしたものがほとんどでした。そこで「ボリューム感があって、食べた方にクンチ(=沖縄方言 “力”とか“栄養”の意)がつくように…」と願いを込めながら、ソーキの煮付けをそばの上に乗せて出しました。それが今では、沖縄のどこに行っても一般的になっている『ソーキそば』の始まりなのです。スープも、定番のかつおだしだけではボリュームが今一つ足らない。だからそこに、豚骨をブレンドすることで創り上げたオリジナルを完成させました。
父は商売に関して素人でした。でも人情深い性格だったので、当時のお客様の様子を見ていて「お腹も心も何とか満たしてあげたい!」という気持ちを持っていました。その想いの結晶が当店の『元祖ソーキそば』なのです。
▼我部祖河食堂さんの特徴を教えて下さい
現在、我部祖河食堂は沖縄本島に10店舗あり、創業者の子や孫たちが創業者から伝授されたものを引き継いでいます。
しかし味付けは、多少ではあるけれど店舗によって、そこの店長のカラーが出ています。それに例えば、豊見城市にある『そば博とみとん店』では、ないちゃー(=沖縄方言 “内地出身者”の意)を店長として初めて採用しました。すると彼は、観光客の方々が食べに来られる機会が多いということに目を付け、ある雑誌の企画に合わせてこのお店だけのオリジナルメニューを出しました。
ですから、同じ『我部祖河食堂』の看板を出しながらも、それぞれの店舗の『微妙な味の違い』や『オリジナルメニュー』を、『個性』という形で楽しんでいただくことができます。
こういった『店舗展開』や『店ごとのオリジナリティー』という考え方は、以前にはなかったことです。しかし時代の流れに対応しながら、我部祖河食堂は進化していかなければなりません。もちろん創業以来、父が築き上げてきたそば作りに対する『こだわり』や、地域のお客様にご満足いただきたいという『想い』は、どの店舗も変わることなくしっかり引き継いでおり、それは我部祖河食堂の良き『伝統』としてこれからも続いていきます。
▼この仕事をしていて良かったことをお聞かせ下さい
私には子供が三人いますが、そのうち二人は生まれながらに障害を持っています。そして女手ひとつでこの子達を育てながら、仕事もしなければいけない状況になってしまいました。
しかし、『子育て』もそれから『仕事』も今まで何とかやってこられたのは、父が長年かけて築き上げてきたこのお店があったからなんですね。
さらに言わせて頂くと、別々の道を進む事になりましたが、前の主人が当時私の店舗の基盤づくりをしてくれていたお蔭なんです。人並みの苦労はしましたが、今、私たちが生活できるのは私の父と子供たちの父親のお蔭なのです。
我部祖河食堂は父が誠心誠意、地域のお客様を大切にしてくれていたからこそお客様が絶えることなく、そして今があるのです。だから、父には本当に感謝しています。もちろん母への感謝も忘れておりません。仕事が我部祖河で良かったということですかね。
▼好きな言葉を教えて下さい
『幸せ』と『まくとぅんちゅー(=沖縄方言 “真の心を持った人”の意)』という言葉が好きです。
今はそば屋の仕事だけではなく、ボランティア活動もしています。私は、「人は徳を積むことで絶対に幸せになれる」と信じています。ですからいつも反省することを忘れず、そして目標を立てて日々の活動をしています。それでどんな時でも『まくとぅんちゅー』でいれば、悪い事は起こらないと思っているから、自分自身がとても安心していられるのです。
活動内容は、障害を持った子供達の代弁者として、その実話に基づく絵本を描いて出版しています。そして店の従業員と共に、保育園へ絵本の『読み聞かせ』に行ったり、小学校の図書館へ寄贈したりしています。皆さんには純粋な心を持った幼い時代に、障害がありながらも一生懸命に生きている子供達の存在を知ってもらって、思いやる心を育んでいただけたらと思っています。他にも交通安全指導に関わったり、地域の中学生の音楽会やスポーツの発展を願って寄付などをさせていただいたりしております。
私もそれからお店自体も、仕事とボランティアがスケジュールの中で一緒になっていき、それぞれを別々のものとして分けることが難しくなってきました。お店は常に、その地域に根ざしたものでなければならないと考えていますから、地域の方々と一緒に何かを行う時は、お店ぐるみでやるべきだと思っています。普段お店をご利用下さるお客様に、何かご恩返しをしたいという気持ちは常にありますから、自分達のできる範囲での寄贈や、何か頼まれた時には進んで取り組むことなどを心がけています。
だから毎日がとても楽しいし幸せです。
▼これからの夢をお聞かせ下さい
まず一人の母親としては、子供達がこれから立派に成長し自立していって、さらに幸せな結婚をしてもらうことが一番の夢であります。
会社の代表としては、今も元気な父に、孫が我部祖河食堂を継いで立派にやっている姿を見せて上げたいですね。
現在、我部祖河食堂は北部を中心とする兄の(有)我部祖河そばと私の経営する中南部の(有)まあさんどの二つがあります。創業者の4人の子供と孫達、そして親戚達と共にアットホームな会社経営をしています。
長男が二代目ですから、叔母の私は兄の息子である三代目を育てながら、将来は出来れば統合し、次の代へバトンタッチしていきたいです。そして私自身はこれからも障害をテーマに絵本を描き、障害に関するいろいろな事に関わっていき、微力ながら力になりたいと思っています。
田畑代表取締役から絵本を見せていただき、その内容を伺っている最中、私の目にはいつの間にか涙が湧き出ていました。なぜかと訊かれたら、それはきっと絵本に関係するあらゆる人々のあらゆる想いを、感じ取れたことが大きかったからではないでしょうか。
主人公の二人のお子さんが、純粋にそしてひたむきに生きている姿を感じて。絵本に登場する地域の人や学校の先生の温かい心を感じて。この絵本作りに携わったすべての人々の熱い想いを感じて。そして何より、田畑代表取締役のわが子に対する深い愛情に触れることができて。
絵本のタイトルは『いっぽ いっぽ』。
12月15日から県内各書店で、三作目の『元気に登校編』が発売されています。ぜひご覧になって下さい。それと今回の取材で、我部祖河食堂の美味しいおそばの中には、創業以来いつも地域の方々に対する思いやりの心や感謝の気持ちが込められているのだということを知り、私は益々好きになってしまいました。



元祖ソーキそば 我部祖河食堂(有限会社 まあさんど)














